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COLUMN

会えない人へ

家に荷物が届くことにさほどワクワクしなくなったのは、あらゆるECサイト(を多用しすぎる自分)のせいだ。あまりに便利でなんでもオンラインで買ってしまうから、しょっちゅう家のベルが鳴って、ポストには不在票が溜まり(配達員さん本当にごめんなさい)、すぐに開けない段ボールが居づらそうに玄関で縮こまっている。こんな風になる前、荷物の到着はもっとサプライズな出来事で、鳴るベルの音に「あれが届いたのかな?!」と高揚感を覚え、配達員さんから受け取るたびに小躍りをしていた気がする。どうしても欲しくて海外から取り寄せた本、祖母が送ってくれる栗の渋皮煮、夏になると大量に届いたコーンスープ缶。

いつからだったのだろう。もはや覚えていないけれど、子供の頃の我が家では夏のあいだ食卓にやたらおいしいコーンスープが登場する奇跡の一週間があった。給食(コーンじゃないもの入りすぎ)とか母親が出すの(粉溶いたやつ)とは違う、もぎたての果物みたいに甘く、シルクのようになめらかで、お月様みたいに淡いイエローのスープ。最初は冷たくして飲んで、そのうちクルトンを入れて飲んで、後半は温かくして飲んで、最後は胡椒を挽いて飲んで。飽きもせずコーンスープの多彩な表情を愛でる日々。そのとんでもなくスペシャルな1週間は、ナントカさん(名前を完全に忘れた)のお中元によってもたらされたものだった。顔を見たこともない誰かからご馳走がやってくる。子供の頃の私にとって、お中元は人生のボーナスステージだった(お返しの義務があることは知らなかったけど)。しかし大人になった私にコーンスープ缶を送ってくれる人は現れず、私が誰かへのお中元を実践する機会もなく、連日家に届くのは自分から自分へ宛てた通販の箱ばかりだ。

だけど最近はちょっとだけ様子が違う。人との距離が遠くなってしまって、気軽に誰かに会いに行くことがままならなくなった世界では、また、あの、誰かから荷物の届く高揚感に出会い直している。お米やお水に混ざって不意にやってくる、遠くの友達からの小包。手書きのポストカードにリボンの掛かったクッキー缶。ホロリと泣きそうになって、やっと気付いたりする。思っている以上に自分は弱っているのかも。クッキーの甘さがじんと沁みる。

この夏、もしかしたら会いたいけど会えない人がたくさんいるかもしれない。そしたら、何かを送ってみようかな。贈りものは照れるけど、お中元にかこつけちゃえばさらりとやれる気がする。会いたい。元気でね。大事に思ってます。目を合わせられなくても、ハグができなくても、その気持ちをぎゅっと閉じ込めて、小さな箱を送り出すのだ。

平野紗季子(ひらの・さきこ)

フードエッセイスト。小学生の頃から食日記をつけ続ける「平成のごはん狂」。雑誌などで連載を持つほか、イベントの企画運営・商品開発など、食を中心に活動中。著書に『生まれた時からアルデンテ』(平凡社)がある。

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